【クロツラ日報】教えて!柏木さん 第2回
- 柏木実
- 2018年4月16日
- 読了時間: 7分
私たちは4月14日を「干潟を守る日」と呼んでいます。21年前1997年のこの日、日本でいちばん大きかった諫早湾が300枚近くの鉄板で閉め切り、干潟への海水供給を断って、潮の出入りがなくなった日を忘れないために今年も諫早市で集会が行なわれ参加して来ました。
21年前は、閉め切り3か月後、乾燥してひび割れた干潟の泥の上におびただしい貝の死骸(貝殻)が浮きあがって来ました。これを調査した長崎大学の研究者は、同じ場所のそれまでの貝類の調査結果からは予想のできないほど多くの数であったと報告しています。4月から5月の渡りの時期、1万キロにおよぶ渡りの途中で腹を空かせて立ち寄っていた1万羽以上のシギ・チドリ類たちが、北極圏などの繁殖地までの残り半分の旅の栄養を補給していたこと。また、1980年代には年間5億トン以上の漁獲を有明海の漁民にもたらし、人々に豊かな海産物を味わわせてくれていたこと。その裏には、これだけの生きものの豊かさがあったことを、改めて知らされたことでした。
諫早湾の干潟が閉め切られた1990年代、韓国の西南の干潟の埋め立て・干拓が次々と行われ、今のインチョン空港南西にあるシファ湖では閉め切りにより水質の悪化と周囲への影響が社会問題となり、また、諫早湾の11倍、有明海の3分の1、の面積を埋め立てる韓国西海岸中央部のセマングム干拓事業の計画が実施されようとしていました。
私のクロツラヘラサギとの出会いは、2000年から始まった日韓干潟共同調査でした。この調査は、日本と韓国の湿地NGO、普通の市民が研究者と協力して今の干潟状況を調査し、目に見えるデータを積み上げることで開発への歯止めとしようと、トヨタ財団の助成を受けて、2000年から2004年まで全15次の調査を韓国の西南海岸と日本の九州・沖縄の干潟で行なったものです。そのうち日本で4次の調査を行いました。水鳥班、ベントス班、文化班に分かれて調査しました。
私は水鳥班に属して、シギ・チドリ類、ガンカモ類、カモメ類、サギ類などの水鳥を調査しました。もちろん、ヘラシギや、ズグロカモメ、クロツラヘラサギ等の希少種も大切な対象種でした。クロツラヘラサギは繁殖期の終わりに行なった第2次の2000年8月のカンファド(江華島)周辺の調査と、越冬期の終わりにチェジュド(済州島)で行なった第8次の2002年3月の調査でした。2001年1月の世界一斉調査で835羽という結果が出ていた頃で、繁殖期に38度線(韓国と北朝鮮の休戦ライン)の江華島周辺の干潟で92羽をカウントしました。また済州島での調査では、島内を回って越冬期の個体数のカウントをしました。調査をとおして数だけでなく、生息地の特徴やその生態をじっくりと観察することができました。
この調査とは別の時だと思いますが、調査団の韓国側メンバーのキム・キョンウォンさんに営巣地を見せていただいた経験は忘れられません。北朝鮮と韓国の境界を流れるイムジンガン(臨津江)が、ハンガン(漢江)に流れ込む場所にあるユド(留島)は、韓国側から軍が北朝鮮を監視する警護所に面した島です。岸から500m程ですが、38度線の北側にあり、銃を持った警護兵のいる横で望遠鏡を覗くとサギやカワウの集団営巣している横、島の南西の緩い崖に何羽もが抱卵したり、行き来したりする様子が小さく見え、嬉しかったのですが緊張する時でした。インチョンのナムドン(南東)貯水池の人工の島のような近くで見られるようになるとは、そのときには思いもしませんでした。
諫早湾の閉め切りから20年、日本では埋め立て等の開発はごく少なくなりましたが、干潟を奪われた水鳥の数は激減しています。一方この間、黄海沿岸では開発がかなりの勢いで進められてきて、絶滅の危惧される鳥たちの生息地が失われてきました。しかし、これに対する研究者やNGO、また国際自然保護連合による世界自然保護会議などを通した働きかけや出版物の発行を通して少しずつ変化が現れています。中国・韓国・北朝鮮の黄海沿岸3か国は黄海沿岸の生物多様性を保全しようと、昨年から世界遺産の登録に向けた活動を始め、また中国では干拓事業を止める法的措置もとられ始め、生物多様性保全に向けた動きも出てきています。
諫早湾・有明海では漁民と農民、また漁民同士、政治的に対立をあおられ、生きものたちにとっても生きづらい生息地の破壊が続いています。一度、政治的な思惑を離れ、生きものも人々の生活も大切にすることを中心に知恵を絞り合うことができれば、クロツラヘラサギにもヘラシギにも、また漁民にも農民にとっても豊かな干潟とその周りの環境を取り戻すことができるのではないでしょうか?

【画像1】1997年4月14日293枚の鉄板で諫早湾が閉め切られた 21年前は、閉め切り3か月後、乾燥してひび割れた干潟の泥の上におびただしい貝の死骸(貝殻)が浮きあがって来ました。これを調査した長崎大学の研究者は、同じ場所のそれまでの貝類の調査結果からは予想のできないほど多くの数であったと報告しています。4月から5月の渡りの時期、1万キロにおよぶ渡りの途中で腹を空かせて立ち寄っていた1万羽以上のシギ・チドリ類たちが、北極圏などの繁殖地までの残り半分の旅の栄養を補給していたこと。また、1980年代には年間5億トン以上の漁獲を有明海の漁民にもたらし、人々に豊かな海産物を味わわせてくれていたこと。その裏には、これだけの生きものの豊かさがあったことを、改めて知らされたことでした。

【画像2】閉め切り後浮かび上がった貝の死骸の連なり
諫早湾の干潟が閉め切られた1990年代、韓国の西南の干潟の埋め立て・干拓が次々と行われ、今のインチョン空港南西にあるシファ湖では閉め切りにより水質の悪化と周囲への影響が社会問題となり、また、諫早湾の11倍、有明海の3分の1、の面積を埋め立てる韓国西海岸中央部のセマングム干拓事業の計画が実施されようとしていました。
私のクロツラヘラサギとの出会いは、2000年から始まった日韓干潟共同調査でした。この調査は、日本と韓国の湿地NGO、普通の市民が研究者と協力して今の干潟状況を調査し、目に見えるデータを積み上げることで開発への歯止めとしようと、トヨタ財団の助成を受けて、2000年から2004年まで全15次の調査を韓国の西南海岸と日本の九州・沖縄の干潟で行なったものです。そのうち日本で4次の調査を行いました。水鳥班、ベントス班、文化班に分かれて調査しました。
私は水鳥班に属して、シギ・チドリ類、ガンカモ類、カモメ類、サギ類などの水鳥を調査しました。もちろん、ヘラシギや、ズグロカモメ、クロツラヘラサギ等の希少種も大切な対象種でした。クロツラヘラサギは繁殖期の終わりに行なった第2次の2000年8月のカンファド(江華島)周辺の調査と、越冬期の終わりにチェジュド(済州島)で行なった第8次の2002年3月の調査でした。2001年1月の世界一斉調査で835羽という結果が出ていた頃で、繁殖期に38度線(韓国と北朝鮮の休戦ライン)の江華島周辺の干潟で92羽をカウントしました。また済州島での調査では、島内を回って越冬期の個体数のカウントをしました。調査をとおして数だけでなく、生息地の特徴やその生態をじっくりと観察することができました。
この調査とは別の時だと思いますが、調査団の韓国側メンバーのキム・キョンウォンさんに営巣地を見せていただいた経験は忘れられません。北朝鮮と韓国の境界を流れるイムジンガン(臨津江)が、ハンガン(漢江)に流れ込む場所にあるユド(留島)は、韓国側から軍が北朝鮮を監視する警護所に面した島です。岸から500m程ですが、38度線の北側にあり、銃を持った警護兵のいる横で望遠鏡を覗くとサギやカワウの集団営巣している横、島の南西の緩い崖に何羽もが抱卵したり、行き来したりする様子が小さく見え、嬉しかったのですが緊張する時でした。インチョンのナムドン(南東)貯水池の人工の島のような近くで見られるようになるとは、そのときには思いもしませんでした。
諫早湾の閉め切りから20年、日本では埋め立て等の開発はごく少なくなりましたが、干潟を奪われた水鳥の数は激減しています。一方この間、黄海沿岸では開発がかなりの勢いで進められてきて、絶滅の危惧される鳥たちの生息地が失われてきました。しかし、これに対する研究者やNGO、また国際自然保護連合による世界自然保護会議などを通した働きかけや出版物の発行を通して少しずつ変化が現れています。中国・韓国・北朝鮮の黄海沿岸3か国は黄海沿岸の生物多様性を保全しようと、昨年から世界遺産の登録に向けた活動を始め、また中国では干拓事業を止める法的措置もとられ始め、生物多様性保全に向けた動きも出てきています。

【画像3】黄海を含む東アジア東南アジアの潮間帯湿地の現状分析 諫早湾・有明海では漁民と農民、また漁民同士、政治的に対立をあおられ、生きものたちにとっても生きづらい生息地の破壊が続いています。一度、政治的な思惑を離れ、生きものも人々の生活も大切にすることを中心に知恵を絞り合うことができれば、クロツラヘラサギにもヘラシギにも、また漁民にも農民にとっても豊かな干潟とその周りの環境を取り戻すことができるのではないでしょうか?

【画像4】日韓共同干潟調査報告書